映画のシュルレアリスム 2

上映会は今日も大盛況。病み上がりなので朝いちのプログラムはさすがに足が重く、マヤ・デレン&アレクサンダー・ハミッドの《午後の網目》に照準を絞り、「日本、80's-現在」→「アメリカ、40's-」と足を運んだらマヤ・デレンは観たことがあったという誤算。こんなことなら土方巽大林宣彦横尾忠則寺山修司などなど大御所が名を連ねる朝の回に行けば良かった。
「日本、80's-現在」はシュルレアリスムというよりはイメージフォーラムアバンギャルド映画という印象で、上映会のテーマとは少し離れて楽しませてもらった。確かに“シュール"の概念をつくり出したのはシュルレアリスムでありこれらの作品はその延長にあると言えるのかもしれないが、束芋の画面とかは本質的に非現実主義的で違うんだよなぁ。あと思ったのが、サイレントであることは意外にもシュルレアリスム映画の必要条件かもしれないということだ。言うまでもなく1920年代はサイレントだったわけですが、音響により作品の印象が規定されてしまうことは、シュルレアリスム的魅力を決定的に阻んでしまいます。説明的な不協和音とか、辟易する。
東山展は先週より落ちついてきてる模様。